秋から冬は、ムクドリの集団ねぐらが大きくなる季節。今回は市街地にできるムクドリの集団ねぐらを見てみましょう。テーマは、ムクドリが集まる場所です。
ここ数年、9月頃になると、マスコミから博物館にムクドリの集団ねぐらについての問い合わせが来ます。駅前等に大量のムクドリが集まって、問題になっているというのです。もう年中行事のようです。ムクドリの集団ねぐら自体は、6月頃からできているのですが、個体数が増える秋に、よく話題に取り上げられているようです。
ムクドリが市街地に集団ねぐらをつくるのは、今どき別に珍しくありません。でも、マスコミが騒ぐようになったのは、比較的最近のこと。ムクドリの市街地での集団ねぐらって、最近何か変わったんでしょうか?
黒田(1965)によると、1940年代までの東京のムクドリは、都市で繁殖しても、集団ねぐらは郊外にあったそうです。それが1950年代から、規模は小さいながらも都市部に集団ねぐらをつくるようになりました。越川(1991)は、日本各地のムクドリの集団ねぐらの情報を集め、1980年代になって日本各地の都市部に、大規模なムクドリの集団ねぐらができるようになったと指摘しています。
大阪のムクドリはどうだったのでしょう? かつて大阪では、ムクドリはどこにでもいる鳥ではなかったらしいことが、昔の鳥信や探鳥会の記録からうかがえます。たとえば、1976年の繁殖期に長居公園(大阪市東住吉区)でムクドリは記録されていません(橋田1983)。その後の正確な経過は分かりませんが、どうやら1980年頃を境に、大阪の都市部でムクドリが普通になっていったようです。
日本野鳥の会大阪支部(1992)には、1990年12月?1992年1月に大阪府内で記録されたムクドリの集団ねぐら21ヶ所が示されています。郊外の河川敷や竹林などのねぐらも多いのですが、7ヶ所は駅前の街路樹や団地の緑地にできていました。日本の他の地域と同じく、大阪でも1990年代には市街地のムクドリの集団ねぐらが普通にできていたことが分かりますし、その規模も数千羽から1万羽と充分大規模でした。ただし、その後、駅前や団地など市街地の集団ねぐらの比率が増えたのかどうかは、再調査して検討する必要があるでしょう。
かつては市街地で暮らしていても、郊外で寝ていた(黒田1965)というムクドリは、どうして市街地で寝るようになったのでしょう? その理由として、たとえば市街地の木が成長したことや、郊外の緑地が開発で減少したことが上げられるかもしれません。
越川(1991)は、さらに興味深い指摘をしています。たとえば、駅前に同じように街路樹が並んでいても、ムクドリが集団ねぐらに使うのは、駅前の一番にぎやかなエリアに集中するというのです。きちんと調べられてはいませんが、人の活動が多いにぎやかな場所は、カラスなどの捕食者から安全なのかもしれません。それをさらに敷衍するなら、ムクドリはにぎやかな場所を求めて、わざわざ都市で寝るようになったのではないかと言うのです。
ムクドリたちが、わざわざにぎやかな場所を求めて、都市で寝るようになったかは、証明されてはいません。しかしもしそうなら、人との軋轢は今後もなかなか減りそうにありません。軋轢を解消するためには、ムクドリが集まって寝ていても問題にならない場所を用意する必要があります。そのためには、ムクドリたちが集団ねぐらにどんな場所を選ぶのかを、きちんと調べる必要があります。
堺市市役所の前の道の街路樹にムクドリの集団ねぐらがあったそうです。街灯が明るいときはあった集団ねぐらが、街灯を暗くしたらどこかに行ってしまったと聞かされました。にぎわいだけでなく、明るさも関係するのでしょうか? まずはムクドリがどんな場所に集まっているかを観察してみてはどうでしょう? そこから人との軋轢の解決策のヒントも生まれるんじゃないかと思います。
黒田長久(1965)東京のムクドリの近代史.野鳥30:14-17. 越川重治(1991)都市に増えてきたムクドリの集団ねぐら.日本の生物5 (4):18-25.日本野鳥の会大阪支部(編)(1992)都市鳥調査報告書.大阪府農林水産部緑の環境整備室,大阪.34pp. 橋田俊彦(1983)長居公園の鳥 1976年調査結果.Nature Study 29(4):40-41.
和田 岳(わだ たけし):本会幹事、大阪市立自然史博物館学芸員。
HP「和田の鳥小屋」